先生は、黒板に大きな山を描き
「この山の頂上は6年生。みんなは今日から4年生やから、
今は丁度5合目くらいにおります。
4年生から6年生までが小学校で一番重要な学年で、
今から山頂へ行くのが一番えらい時です。」
とグルグルっと山の5合目辺りに印をつけみんなを見渡して
「でも、必ずみんなは頂上へ行けます。
先生はみんなが、やれば出来る子達やと知っているからです。」
そして黒板に大きく
『やればできる』
と書いたのでした。
小学4年生の始業式
担任のヤマザキ先生が言われた言葉は
私たち4年生40人全員の心を捉え、そして先生が大好きになりました。
ヤマザキ先生の右手人差し指には
ぶくっと大きなペンだこと、
その右手は
赤ペンのインクでいつもまっかっかでした。
なぜなら
先生は毎日学級通信を書き、
①日記
②自由勉強
③漢字の書き取り
④計算プリント
4つの毎日の必修宿題を
下校までに全部目を通し、
ノートが真っ赤になる位
何十にも○をつけていたからです。
日記の小さな文章に『あなたのいいところです』とおっきな○、いい言葉には波線。
漢字一文字一文字に3重、4重に○、200字づめの書き取りノートは○でまっかっか。
計算プリントで良い点だったときはプリントいっぱいのおっきなはなまるを。
そして『チャンピオン』『ウルトラチャンピオン』『スーパーウルトラチャンピオン』
といったようなレベルをつけて返してくださいました。
私達はそれを返してもらうのが
とてもとても楽しみで
そして友達が先生に何の言葉を返してもらうのかがとても気にかかり
レベルが上がるたびに、
俺はここまで行ったぞ!など自慢しあったものでした。
毎日の学級通信には、
宿題から今日は○○くんの漢字が素晴らしかったのでご紹介しますとか
△△さんの自由勉強は面白かったとかいう話題が載せられるので
私達は学級通信に載りたくてまたお互いに競争しあうのでした。
いかに先生に○を沢山もらえるか。
いかに鉛筆で綺麗な字が書けるか。
勉強というよりは、クラスの流行ごとのようでした。
同時に先生は規則にとても厳しく、
廊下を走る、上座から教室に入る、静かにしない…。
こういった規則を守らなければ、
放課後、漢字を1000字書かされるという罰がありました。
全員で書いたこともあります。
漢字を1000字書くということは、
小学4年生にとって大変ツライものでした。
みんながそれを恐れて「1000字になるでー!」と言い合ったものです。
4年生が終わり、5年生になりそして6年生になるとき
「6年生担任、ヤマザキ先生」
この声に
私達は歓声をあげて喜びました。
6年生になっても、ヤマザキ先生のペンだこと
まっかっかな右手は変わらず
私達の心の中にはいつも
おおきな山とやればできるの文字がありました。
5つの小学校が集まって1つの中学校に通うようになっても、
5クラスの書記が、ほぼ全員自分と同じ小学校出身者だったのは
ヤマザキ先生のおかげだと思っています。
随分と時が流れ時代が変わり
風の噂で、
ヤマザキ先生は厳しすぎると言われているらしい、
と耳にし
とても切ない気持ちになりました。
当時の年齢から考えて
もう定年退職されてみえる可能性が高いのですが
先生、私は先生が大好きでした。
本日もご訪問くださり、最後までお読みくださってありがとうございました。
今月も、のほほんと参ります。お付き合いくださいましたら嬉しいです^^
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